ガイドツアー 複雑系の世界

ガイドツアー 複雑系の世界サンタフェ研究所などで現在も多彩な研究を展開する研究者による複雑系研究を俯瞰する入門書。著者は、ホフスタッター(「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環」など)の大学院生として複雑系研究の草創期にこの領域に参加し、以来つねに複雑系研究の最先端に身をおいてきた。そうした内側からの視線も含めて、複雑系研究が、どのような背景から芽生え、発展し、また批判にさらされてきたのかをコンパクトに概観している。読み物として平易であり、ウィットにあふれていて楽しい。また、批判者も含め、複雑系に関わる人々への視線がフェアであるのも心地良い。
筆者の専門領域に引きずられて、若干、離散的な対象の研究の記述への偏りがあるようにも感じるが、むしろ新鮮で驚きを持って楽しく読める。ウルフラムの「新しい科学」をここまで正面から平易に解説しようと試みている入門書は他にないかもしれない。
結びは、冒頭で広げた風呂敷をたたみきれているとはいえないが、それは、複雑系科学という領域そのものの現況を素直に表現しているともいえる。
複雑系を学ぼうとする方に、最初の1冊として強く薦められる快著。文句なく☆5つです。

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夜の国のクーパー

夜の国のクーパーエンターテインメントの皮をかぶった純文学のような小説。ジャンル分けもほとんど意味をなさない、伊坂幸太郎の小説。
伊坂幸太郎は、どこかの談話かエッセイで「これからは書きたいことを書く」といったことを言っていたように記憶している。最近の作品では、徐々にそうした様子が表に出てきている印象があるが、「夜の国のクーパー」は、中でも「舵をきった」作品。そもそもオフビートな伊坂作品の中でもとりわけオフビートな作品だ。伊坂はあとがきで「同時代ゲーム」の読書体験を思いおこしながら書き綴ったことを控え目に吐露している。これまでの伊坂作品の系譜の先に位置づけようとすると若干の戸惑いがあるかもしれないが、大江健三郎の、なかでも「同時代ゲーム」を愛する作家が書いた作品として眺めれば、すとんと腑に落ちる。「同時代ゲーム」をオマージュしても、伊坂幸太郎が書くと、こうも読みやすくなってしまうのか、という感じ。
個体どうしが関わりあうことで、家族、コミュニティ、国家といった繋がりが生じ、やがて繋がりそのものが生き物のように振る舞って、時に個体を脅かす。近年の伊坂作品で繰り返し語られているテーマが、浮気した妻と現実逃避する夫、敵国の兵士に蹂躙された町、猫と鼠といったな道具立てで重層的に語られる。たいへん魅力的ではあるが、軽やかな語り口と語られるものごとが、きっちり噛みあっていたかといえば、若干の違和感も覚える。
それでも、今後の伊坂幸太郎がますます楽しみになった。

それにしても、本作の腰巻も、内容を伝えようというよりは「売れればよし」という情けないもので、この腰巻に釣られてがっかりした読者は少なくないだろうと想像する。

 

トートラ人体解剖生理学 原書8版

トートラ人体解剖生理学1200ページ以上ある「トートラ 人体の構造と機能」のコンサイス版。分子細胞生物学でいえば「細胞の分子生物学」に対する「Essential細胞生物学」のような位置づけの教科書。初心者にも平易に書かれており、図版も多く美しい。各章末に理解を確認するための練習問題が用意されており自習書としても十分に使える。
旧来、形態を学ぶ解剖学と、機能を学ぶ生理学は別個に教授されてきた。解剖生理学という考え方は比較的新しく、形と機能は分かちがたく連動しているのだから、同時並行に学んだ方が効果的であるという発想に基づいている。TortoraとGrabowskiによるこのシリーズは、解剖生理学の教科書の中でも定番で、原書はまもなく次の版が刊行される。
近年、多くの学生が生命科学を志しているが、中でも多数を占める分子細胞生物学を専攻する方には、細胞より巨視的なレベルである、組織、器官、個体の生物学を学ぶ機会を十分に得られない方も多いと思われる。我が国の大学では、医学系以外の学部で「生理学」を冠する研究室が激減しており、自然、生物個体の機能を対象とした生理学を学ぶ機会も減っている。本書が対象とするのはヒトの解剖生理学に限られるが、かたちや機能の生命科学を自習したい方にもオススメできる教科書だ。

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物質のすべては光

物質のすべては光自然科学は、理論と実験を両輪として進展していく営みです。最先端の素粒子物理学は、技術的にも経済的にも実験が非常に困難なレベルに突入しているため、理論科学と実験科学の関係が際立っている学術領域です。本書は、現代を代表する理論物理学者のひとりであるウィルチェックによるものです。素粒子物理学には、実験物理学のトップランナーにも、レーダーマンという、すばらしいポピュラーサイエンスの書き手がいます。レーダーマンの著作も併せて読むと双方の味わい深さが増します。
ウィルチェックは本書で、理論物理学者らしく、閃いたアイディアが新しい理論へと結実し、素粒子物理学を推進していく過程を描写しようとしています。何がどこまで、どのように理解されていた状況にあって、誰がどういった視点でこれまでにない新しいアイディアを思いついたかを、活き活きと描いています。アイディアや理論が次々と産まれ、実験による厳しい検証を生き抜き、この宇宙の構造の根源に一歩ずつ詰めよっていく様を、おそらく筆者自身も楽しんで、軽妙に描きだしています。
中盤までは「物質の質量は何に由来するか」という問いに貫かれています。つづいて、統一理論の感性を阻む一大要因である「重力の小ささ」の原因へと探索は進んでいきます。
ここでウィルチェックは「なぜ重力はかくも小さいのか」という問いを、別の問いに書き換えます。科学では、同じ真理を追い求めるときにも、具体的な問いの立て方を変える(問題を別の角度から照らしだす)ことで一気に解決への道が拓けることがあります。ウィルチェックは、問いを置き換え、これに答えることで、最新の理論素粒子物理学の到達点と限界を示そうとします。本書の原題は「The Lightness of Being」で「存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being」をもじったものです。そのことは、作者自身が本書冒頭で註釈していますが、「なぜ重力はかくも小さいのか」を書き換える、インパクト抜群の第15章「ほんとうにすべき質問」で、このタイトルの持つ響きが、より重層的なものへと深化するので、その点で、邦題はもう少しなんとかならなかったものか、と思います。
かなり込み入った、類書が棚上げしてしまっているような内容を、ウィルチェックは言葉をつくして易しく説明しようと骨を折っています。決して「なんだかすごいなあ」といったボンヤリした印象で読み終えてほしいとは考えていないでしょう。初学者が読むにはかなり手強い本ですが、この宇宙の基本的な姿を、宇宙の片隅に産まれた私たち人間が、どこまで理解できた(つもりでいる)のかを垣間見ることのできるすばらしい本です。

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対称性

対称性実験素粒子物理学者の大物2人の共著による対称性についてのポピュラーサイエンスです。レーダーマンの著作に共通していますが、実験科学者らしく、ざっくりと噛みくだいたわかりやすい説明がすばらしいです。本書のコアにあるのは、「対称性のあるところには保存則がある」というネーターの定理です。ネーターの定理は、対称性という高度に抽象的な数学的な概念と、現実世界を象ろうとする物理学を力強く結びつけます。著者はネーターの定理を足がかりとすることで、古典力学、相対性理論、量子力学、最新の素粒子論といった領域で、新しい視野が拓けていくことを、活き活きと描写しています。対称性という概念が物理学に与えたインパクトを語ったポピュラーサイエンスとしては最高の作品だと思います。
一方で、対称性の数学的な側面の説明は、意図的に割愛しているのでしょうが、やや淡泊です。物足りない方は、数学者の視点で優れたポピュラーサイエンスを多数書いているスチュアートの著作「もっとも美しい対称性」がオススメです。また、著者の本業である素粒子物理学の記述は、終盤にかなり駆け足でなされるに留まっています。こちらに興味のある方は、レーダーマンの旧作や、新しめの書籍としては「「標準模型」の宇宙」がオススメです。この3冊を読むと、現代科学というか人類にとっての対称性の価値が、ぼんやりとした雲のようなものではなく、手触りのある塊になって、それなりに腑に落ちると思います。本書の結びで著者も述べていますが、対称性は、今世紀以降を生きる人類の、新たな必須の教養だと確信しました。

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ライフサイエンスのための基礎化学

ライフサイエンスのための基礎化学生命化学を理解するために必要な化学を必要最小限な部分に徹底的に絞り込んで、たった150ページにまとめた入門中の入門とでもいうべき自習用教科書。とにかくコンパクトにまとめてあるので、事実の羅列になっていて、背後にあるメカニズムの解説は深くはない。そこはこの本のポリシーなので読み手も割り切るべきだろう。各章末に、より詳しい教科書、参考書が紹介されており、さらに学びを深める道しるべになる(邦訳があるものはちゃんと訳書の情報も示されている)。また、読者に数学の知識を要求しない方針で書かれているので、数式の導出過程もばっさりと省略している(巻末に重要な式の導出過程が付録として添付されている)。前提知識なしで、生命科学のために必要な化学を短時間でざっと眺めるためには、かなり使える教科書といえる。これだけコンパクトに絞り込んでいるにも関わらず、理解を確認するための例題や章末問題はふんだんに用意しているのもいい。

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生命の跳躍

生命の跳躍☆5つでは足りないくらい、素晴らしいポピュラーサイエンスです。レーンの著書は、どれも傑作で邦訳にも恵まれていますが、その中でも最高です。これまでの著作を先に読んでおくと、理解しやすく、より楽しく読めるでしょう。最先端の生命科学が答えをだしていない、あるいは、生命科学者ですらその多くが敬遠しているような問題に、著者なりの解答を提案しています。そのため、初学者がすらすら読んで理解できるほど「ポピュラー」とはいえません。一読して驚くのもいいし、精読して参考文献も紐解きながら耽溺するのも楽しい、創意に満ちた知的冒険の書です。
取りあげられている10のトピック(生命の誕生、DNA、光合成、複雑な細胞、有性生殖、運動、視覚、温血性、意識、死)は、どれも、生命が複雑に進化する過程で獲得してきた能力です。現代を生きる私たちは、そうした能力を持つ生命を見慣れてしまっているため、ふだんいちいち不思議に思うことはありません。レーンは、10の各章で、それぞれの能力がいかに重要で、奇跡的で、精妙な装置であるかから語りはじめ、生命進化の長大なしかし限られた時間の中で、そうした奇跡がいかにして起こりえたのかを、現時点で明らかになっている科学的知見を総動員して考え、彼なりの解答を示します。どのトピックも、完全な答えの出ていない、未解決問題ばかりです。しかも、どれもとびきり重要な問題です。それらについてまとめあげて展望を与え、著者なりの仮説を示そうという本書の構想は壮大です。レーンはそれを成しとげ、読む者を圧倒する、生命科学の知の曼荼羅をつくりあげました。私も生命科学者の端くれですが、生命科学をやっていて本当に良かったと、この本を読んで再確認した思いです。

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麒麟の翼

麒麟の翼東野圭吾は「さまよう刃」あたりから、被害者の視点を強く意識しており、本作もその流れの上にあります。加賀恭一郎というキャラクターは、「どちらかが彼女を殺した」「嘘をもうひとつだけ」など東野作品の中でもロジック重視の作品に起用されてきた印象があります。加賀の特徴は、何気ない会話にひそむ意味を拾いあげながら真相へと詰め寄っていくスタイルにありますが、それはそのままに、新たな東野作品で活躍しているのは、年輪を重ねた俳優が新境地を開拓したようで愉しめます。
本作「麒麟の翼」には、どんでん返しはありません。加賀の捜査によって、初期の印象とはまったく異なった方向へと事件が収束していきますが、いわゆる謎解きの快感や意外性に満ちた物語ではありません。この物語には、理解不能なサイコパス的な登場人物はひとりも登場しません。被害者は死亡し、加害者は逃走中の事故で意識不明の重体、という状況で、被害者の家族、加害者の家族、その周囲の人々が描かれます。マスコミなど「部外者」を自認する者たちの振る舞いが、もっとも下劣で暴力的なものとして描かれているのが印象的です。
加賀は、被害者、加害者それぞれの足取りを追いながら、周辺の人物から丹念に聞き取りをおこない、その言葉の端々から矛盾を拾いあげ、誤解を破り、真相へと近づいていきます。一見なんでもなさそうなできごとや会話の中にささやかな不整合=謎を見出し、解きほぐしていく。その「気づき」のひとつひとつが、とても丁寧に考えられており「名工の技」のようにも感じられます。幕切れ近くにドカンと炸裂する大仕掛けに期待するのではなく、全編に散りばめられたきめ細かい技巧の数々を堪能するのが、本作のミステリとしての楽しみ方のように思います。
終盤、この作品中で、加賀が一度だけ激昂し、ある人物に強い言葉を投げかけます。この社会にありふれている振る舞いが、やがて大きな歪みへと育ち、多くの人々を不幸に陥れることすらあるのだという思いが、その言葉には込められています。
かつて東野圭吾は、ミステリを逸脱するのではなく、拡張したい、自分の書くものはミステリである、のように述べていました。「麒麟の翼」もミステリの構造をとりながら、普遍的な物語へと昇華した小説になっています。

 

下町ロケット

下町ロケットAmazonの内容紹介や、腰巻きの惹句から想像される内容は、中小企業と、それを食い物にしようとする大手企業の闘い、だろう。
その期待は、良い意味で裏切られた。
物語の前半は、確かにその通りで、特許侵害を巡る法廷劇や、大企業による買収といったビジネスドラマであり、主人公は翻弄されながらも何とか生き残っていく。研究者として挫折し父の町工場を継いだ主人公、メインバンク、ライバル企業、巨大企業といったそれぞれの立場の人物の思惑とその錯綜がよく描かれている
でも、それはプロローグに過ぎない。
嵐が過ぎ去って、主人公は、これが俺の人生なのか?という問題に立ち返る。
そこからが、この「下町ロケット」の本領だ。ロケットエンジニアリングをネタにした知財争奪戦というプロローグを軽々と踏み越えて、この物語は、真正面からロケット開発の現場へと挑戦する。主人公とともに。
「ものをつくる」ってことには、それ自体感動がある。自分がつくったものに惚れ惚れと眺め入ってしまうような感動。ものづくりは、現代であっても夢となりうる。数年前「レボリューション・イン・ザ・バレー」を読んだときにも、ものをつくるという行為に宿る昂揚と恍惚に打ち震えたが、「下町ロケット」の後半も、ものづくりに夢を託しつつ、それを夢物語でなく、現実のドラマとしてリアリティを持って書き抜いている。
自己の幸福を他者の評価に委ねず、自らの胸の裡に何らかの矜恃を秘め、辛うじてそれを守りながら生きている人であれば、必ずこの物語に勇気づけられるだろう。

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Genetics of Original Sin

Genetics of Original Sinde Duveの最新作「Genetics of Original Sin(原罪の遺伝学)」。とりあえず斜め読み。エピグラフは真っ向勝負の創世記3:6 内容は、この大上段のエピグラフをしっかりと受けきっている。書こうとしている内容に較べれば200ページは短いが、フランス語の原著を出版したとき91歳なのだ。

目次を全訳してみた。小見出しの各項目は1〜数ページなので、これだけで全編の要約になっている。de Duveのこれまでの著作を読んだ人なら、おおよそ内容の見当はつくだろう。「Singularities」の時にも感じたが、これはde Duveの集大成だなあと思う。

そして、時代を代表する科学者として、また、幼少期よりカトリック教会で教育を受け、カトリックの大学で学び教鞭を執った科学者として、宗教への言及に踏み出さざるをえなかったのか、とも感じる。第4章は、科学者という枠を敢えて踏み越えて書いているのではないか(第4章の内容は見出しからだけでも断片的な印象があるが、de Duve自身、introductionにおいてsketchであると述べている)。

「原罪 Original Sin」の章が13番目に配されているのは、おそらく偶然ではあるまい。

90歳を超える高齢を圧して、なお1冊の書物を世に放ってくれたことを心から感謝して、改めて読み進めたい。

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