de Duveのsingularity

“Singularity” は、「特異点」と訳され、数学、物理学などの領域でそれぞれ明確に定義づけられた専門用語である。
De Duve は、singularity という言葉を、生命進化に対して用いた (de Duve C, 2005) 。地球上の生命には、単一の〔デザイン〕を共通して採用している形質が数多くある。そうした“たったひとつのやり方”に定められた〔デザイン〕を、de Duve は singularity と呼んだ。de Duve の挙げる singularity には以下のようなものがある。

  • 細胞から構成されること。
  • 細胞の構成要素として、タンパク質、核酸、脂質など、すべての生命に共通するものが多数あること。
  • それらの生命分子のキラル性が、多くの分子種において著しく偏っていること。
  • 一部の例外を除き、同一の遺伝コードを用いていること。
  • 遺伝情報を格納するためにDNAを利用すること。エネルギー伝達のためにATPを利用すること。
  • プロトン勾配を利用して生命反応のためのエネルギーを得ること。

これが特異的 singular である理由は、共通祖先がその〔デザイン〕を採用し、以降、他の〔デザイン〕によって置き換えられることがなかったからだ。de Duve が問うているのは、共通祖先が、他の〔デザイン〕ではなく“その”〔デザイン〕を採用するいたった経緯である。
de Duve は、これらのsingularityの成因は、大きく7つに分類できると提案し、singularity とその成因という視座から、地球上で起こった生命進化に新たな展望を得ようとした。
7つの成因の概要は以下の通りである。

  1. Deterministic Necessity[決定論的必然]:物理法則、地球環境等の要因により、必然として生起した singularity。
  2. Selective Bottleneck[外部環境による選択]:外部環境による選択によって生じる singularity。ダーウィン進化による自然選択。
  3. Restrictive Bottleneck[内部設計による制約]:内部設計による制約によって生じる singularity。過去の進化の結果による制約など。
  4. Pseudo Bottleneck[見かけだけの制約]:観察者には、一見なんらかの選択があるように見えるが、実際には偶然生じた singularity。
  5. Frozen Accident[凍結した偶然]:過去に生じた偶然が、現在の状況を拘束している状況。遺伝コードなど。
  6. Fantastic Luck[とてつもない幸運]:ほとんど発生する可能性はないが、現実に発生し、維持された singularity。ヒトの進化もこれに当たるかもしれない。
  7. Intelligent Design[知的設計]:神などの高度で多くの場合不可知な知性による設計。自然科学の対象外だが、自然科学によって否定することもできない。

この分類は魅力的だが、いくらかの混乱も含んでいる。Intelligent design を挙げたのは、公平性を期すためだろう。自然科学では intelligent design を議論することはできないので、事実上、検討対象外といえる。Pseudo bottleneck は、観察者の視点に立った分類といえる。ここに分類される singularity は、見かけ上の singularity であって、真の singularity ではない。最終的な singularity の分類項目からは除外されるべきものだ。真の singularity を分類する際には、〔Deterministic Necessity〕〔Selective Bottleneck〕〔Restrictive Bottleneck〕〔Frozen Accident〕〔Fantastic Luck〕の鑑別を議論することになるだろう。

Singularity という視点から生命を眺めたとき、現在地球上で維持されている生態系に、いかに多くの偶然が作用しているか、ということに思いを致さざるをえない。情報保存分子に核酸を用い、一次的機能分子にタンパク質を用いるという、生命のデザインの基盤中の基盤ですら、それが必然の結果であるとはいいがたい。
生命進化とその偶然性(必然性)については、モノーによる古典的論考 (ジャック・モノー et.al., 1972) を嚆矢として数多くの議論が展開されてきたが、自然科学としての生命科学を用いて正面から取り組むのが難しい問いでもある。de Duveも、著書、講演ではsingularityについて語っているが、singularity に関する学術論文は1報もない。

偶然には理由がない。
一方、自然科学は、対象を因果関係あるいは相関関係の連鎖として記述することによって理解しようとする方法論である。
自然科学の理論は、その理論から導かれる予測が、何度繰り返しても例外なく予測どおり観察されることをもって検証される。偶然事象には、こうした再現性は望めそうにない。
生命あるいは生命進化における偶然と必然の絡みあいを、自然科学によって正面から挑戦するのは難しい。

偶然と必然の問いは、最初の生命の誕生から現在まで、地球上の生命がどのような経緯をたどって進化してきたのか、という〔歴史〕の問いでもある。
de Duve のアイディアは、それぞれの singularity が生起した機転について、焦点を絞るのに役立つ。
偶然の要素を織り交ぜながら展開してきた地球上の生命進化は、精密な再現性を持つ物理過程というよりは、歴史に近い側面を持ち、自然科学にとって困難な対象であることは事実である。ただし、多くの偶然の要素が含まれているからといってランダムではない。あまたの偶然を産みだす中核には、必然と呼べる確固とした基幹システムが存在しているかもしれない。

また、何が必然で、何が偶然かは、時間の経過とともに移りかわる。Crick が名付け、de Duve も7つの singularity のひとつに数えている frozen accident などが典型的だが、偶然に生起した事象が、その後の生命の設計を決定的に支配する必然に変容することが多数起こっている。遺伝情報を格納する分子に DNA を選んだこと、エネルギー伝達分子に ATP を選んだことなどは、いずれも必然ではなく偶然かもしれないが、それ以降地上に出現した子孫たちにとって、一度選択されてしまったこれらの設計は、逃れることがほぼ不可能な必然である。
つまり、生命を構成する事象の偶然と必然は、静的不変な属性ではなく、時間的、空間的に変化する動的な属性である。この動的な遷移は、多くの場合、偶然から必然への一方通行だろう。

なぜ、いま地球上に生きる生命は、他の姿形ではなく、この姿形をしているのか。この問いに答えるためには、生命進化の時間的空間的展開とともに、動的に遷移していく形質の偶然/必然を解きほぐしていかなければならない。

References

  • de Duve C, 2005. Singularities: Landmarks on the Pathways of Life. Cambridge, England: Cambridge University Press.
  • ジャック・モノー et.al., 1972. 偶然と必然. みすず書房.