図解 遺伝子の調節機構—λファージの遺伝子スイッチ

図解 遺伝子の調節機構―λファージの遺伝子スイッチ「A Genetic Switch」第3版の邦訳。第2版は「絵とき 遺伝子スイッチ」(ISBN:427402167X)として邦訳されていて、現在古書として1万円以上の価格で取引されている。学生時代、分子遺伝学の研究室に移ったときに指導してくれた先輩院生から、まず読めと最初に渡されたのが「絵とき 遺伝子スイッチ」で、一晩で読破した。λファージの生活環を通じた遺伝子発現を解説した本なのだが、一般的に遺伝子発現調節について理解すべき事柄のエッセンスがλファージの生物学にみごとに詰め込まれており、分子生物学を学ぶための端緒としてかなりオススメな1冊。

「絵とき 遺伝子スイッチ」の感動を思いだし、先日、第3版が本書として翻訳されているのを知り、およそ10年ぶりに手にとった。日々増加する知見を増補し、内容が豊かになっているが、引き換えにコンパクトであるがゆえの一気読み可能な疾走感は削がれているかもしれない。これは、どちらが良いと断じることができるものではないし、本書も並み居る分子生物学の書籍の中では、いまだに充分コンパクトであることは間違いない。

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脳と仮想

脳と仮想腰巻などには「最先端脳科学の現場から生まれた、画期的論考」などとあるが、作者が脳科学研究の現場に身を置いて自らの考えを凝らしたという点で脳科学との接点はあっても、本書はおそらく脳科学者たちが広く認めうる学術的論考ではない。そして、こういった論考が、現在のアカデミアにあっておそらくはオルタナティヴであること自体への疑義、あるいは叫びが、本書の中核にあるように感じる。

近代科学の方法論の枠組みでは、意識や心の問題に接近することはできない。本書が手を変え品を変えて本書で伝えようとしているのは、そのことである。ではどうすればいいのか、その答えは本書にはない。答えが出せれば、コペルニクス、ダーウィンといったある分野のパラダイムを創成した哲人の系譜に列せられるだろう。

私たちは、生まれたときから科学文明にどっぷりと浸かってその恩恵を享受し、科学という方法論が、この世界の隅々までを照らし出すであろうことを疑っていない。疑っていないことを意識すらしていない。この頑迷にして頑強な近代科学万能主義が、本書が乗り越えようとする巨大な壁であり、格闘する作者の姿は、作者が尊敬し、本書にも数多く引用される小林秀雄の姿に重なる。

多彩かつ魅力的な引用と、平易でわかりやすい文章によって、非常に抽象的なことを、その本質をごまかすことなく論じているにもかかわらず、誰にでも読みやすく、すんなりとその内容が頭にしみこんでいくような魅力的な本になっている。

と同時に、熱いアジテーションがその底流に流れている。その矛先が向かっているのは、近代科学を担ういわゆる「理系」の研究者たちではなかろうか。本書では、何らかの新たな理論、原理が提案されているわけではない。本書に託された役割はむしろ、現在あるいは未来の脳科学を担う人々への「檄文」であろう。

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進化の特異事象

進化の特異事象「Singularities」の邦訳。De Duveは、非常に魅力的な著書を書いていますが、邦訳が少ないので、まず、本書の邦訳が出たことに拍手。生化学レベルの普遍的事実、事象から、生命システムを構成する素過程の由来を議論するという姿勢は以前から一貫しています。本書では、化学式や模式図などの図表を多用し、簡潔な段落構成で、生命の構成要素からヒトの進化まで、著者の解釈が幅広く、コンパクトに披瀝されています。コンパクトなだけに、流し読みしてしまうと、生化学、分子生物学のショートレビューのように見えてしまうかもしれませんが、エネルギー代謝やセントラルドグマなどあらゆる教科書で書き尽くされた対象を、明確にDe Duveの視点で再描写してみせるというのは、それだけでも大した仕事です。何を解説するかではなく、どのように解釈しているか、が、De Duveの著作の神髄であり、オリジナリティです。生命科学の入門書としてではなく、生命科学を一通り学んだ上で読んだ方が、その独自性と価値を深く味わえるかもしれません。

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眼の誕生

眼の誕生ハクスリーは、ダーウィンの「種の起源」を読んで「これをいままで思いつかなかったとは、自分は何と間抜けなんだ」と叫んだという。本書を読んで、その根幹を成すアイディアに対して同じ叫び声を上げた科学者は、数え切れないのではないか。少なくともぼくはそのひとりだ。

「ワンダフル・ライフ」などバージェス頁岩、カンブリア爆発、エディアカラ動物群などに関する書物を楽しく読んだ人には特にお薦め。生命進化史上最大クラスの大変革である「カンブリア紀の爆発」が、そもそもなぜ起こったのかを説明する仮説が本書の中心である。本書はサイエンス・ライタによる最新科学の「要約」ではなく、現役バリバリの科学者による、まったく新しい考えが込められた学術書である。でありながら、初学者にも優しい、懇切丁寧な背景説明が為されている。説明が非常に丁寧なので、生物学や進化論と親しくしている人は、おそらく最初の4分の1も読まないうちに、本書が提案する仮説が読めてしまうだろう(そして「これをいままで思いつかなかったとは、自分は何と間抜けなんだ」と心の中で叫ぶ)。オチが読めてしまっても楽しく読めるが、証拠を積み重ねて最後に犯人を指摘するミステリ小説のようなつくりになっている本だけに、最後にアッと驚かされた方が、より衝撃的な本だろうと思う。

提示される仮説は合理的で隙のないものに見えるが、現状ではやはり仮説である。生命科学の領域にいくつも築かれた知識の石塔の中でも、ひときわ高い塔の天辺に、ひときわ輝かしい石が積まれたようなものだ。この後この上に、どんな石を積み上げることができるのか、石を積むチャンスは誰にでもあるし、もしかすると誰にもこれ以上、石は積めないのかもしれない。ワクワクする。

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虚数

(文学の冒険シリーズ) (単行本)
虚数ポーランドで「虚数」として出版された「架空の書物の序文集」と、後年別に記された「GOLEM XIV」を併せて収録している。両者のリンクとしては、「虚数」の中の一編「ヴェストランド・エクステロペディア」にGOLEMに関する記述があり、またそれ以上に、知性と肉体に関する考察という点で通底している。

序文集「虚数」は、後半の「GOLEM XIV」への程よいイントロダクションになっている。「虚数」の各編は、様々な衒学的脱線であふれかえっているが、そのすべてにおいて、知性と肉体について言及している。そこから立ち上がってくる問いは、知性は、人間の肉体という仕様に依存する概念なのか、ということだ。肉体、というか人間という物理的存在に拘泥した「ネクロビア」への序文を嚆矢として、その後に展開されるのは、言語を学んだ微生物、機械による文学、コンピュータによる未来予測を編纂した未来百科事典といった、人間以外の知性を題材とした弾けとんだ話だ。

そして、人間が造りだした、人間以上の知性を持つコンピュータ「GOLEM XIV」による人間への講義録の形式を取る「GOLEM XIV」。この中で、GOLEMは、人間について語り、自己について語り、知性について語る。その全貌は到底把握しきれないが、根本にあるアイディアの手触り、手応えは圧倒的。

以下、ぼくの個人的解釈になるが、「知性」は、この地球上では「ヒト」という生物種に至って創発されたが、より一般的な「知性」の在りようは、ヒトの生物学的構造や遺伝情報に拘束されるものではない、というのが本書の中核にある主張である。ヒトが持っている生物学的デザインは、高い知性を持つために最適化されたものではなく、より現実的な、生き抜き、殖えるために最適化されてきている。そこに運良く知性が宿り、現在の程度まで到達したが、人間の到達しうる知性は、ヒトの生物学的デザインにどうしようもなく縛られている、というわけだ。そして、人間が造りあげた計算機であるGOLEMは、そのデザインのくびきを断ち切った次世代の知性であり、人間が到達し得ない、理解の及ばないところにまで達している。

これは絶望的であり、なおかつ心揺さぶられる言明である。ぼくは、基本的にはまったくそのとおりだと思う。その上で、人間がもがき回る、人間の知性が探り当てられる知識もまた、事実上無限であり得ると信じられるからだ。限られたハードウェアの上で、エネルギー吸収的に営まれるぼく自身の知性が、いかほどのものを紡ぎだせるのか、落胆よりもむしろ勇気づけられた。どの程度のものであれ、自分にはどうやら知性と呼べるものが備わっていることに感謝したいし、そのポテンシャルをフルに引き出してみたいと思う。

レム亡きいま、知性に関する思索を文字通り「空前絶後」の完成度で示した本書に及ぶものはおろか、類似する文学作品すら、今後産まれる望みはないように思える。

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世界でもっとも美しい10の科学実験

世界でもっとも美しい10の科学実験科学者たちは実験のことを時に「美しい」と形容する。ぼく自身も科学者の端くれだが、確かにそうだ。美しい実験、美しい結果といった言葉づかいに違和感はない。著者は、哲学者・科学史家という自分の立ち位置から、科学者たちとの対話を通して、その「美しさ」の意味をくみ取り、10の「美しい科学実験」を通して、「実験にとって美しさの意味とは何か」「実験に美しさがあるのなら、それは美にとって何の意味があるのか」という2つの問いに答えようとする。もともとは雑誌「Physics World」での連載であり、取り上げられた10の実験はアンケートに基づいて選ばれている。おそらく実験とは、科学者にとって自分自身との対話であり、自分自身の哲学が具現する瞬間でもある。だから、実験を経た後の科学者の言葉は、その深さと重さを増す。訳者もあとがきに書いているが、ニュートンの「光は屈折するときにその色を変えない」という言明に、この書物の中で出逢うとき、理性ではなく感性を揺さぶられ、涙すらあふれてくる。科学が、芸術同様に人間の感性に訴えかける営みであることを著すことに、著者は成功している。10の実験について語った各章を結ぶ間章もとても興味深い。

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SYNC

SYNCいっせいに明滅するホタルなど、印象的な同期現象を導入として、前半は、社会といったマクロスケールから、細胞といったミクロスケールにわたり普遍的に見られる同期現象と、その背後に存在するかもしれない共通の原理について物語られる。後半は、同期現象から徐々に話題を拡大し、カオスやネットワーク科学といった、現代の非線形科学全般へと話題が及んでいく。エピソードの選び方と語り口が見事なため、何となく読んでいると、いつのまに話題が同期現象を離れ、いつのまにまた同期現象とつながってきたのか気づかないほどである。還元主義に偏りすぎた現代自然科学への批判的な視線が随所に現れるのもおもしろい。ストロガッツほどの科学者が、自分を「主流」とは考えていないのだ。

ポピュラーフィクションとして一級品(一部、専門用語に誤訳があるのが残念)。

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脳のなかの水分子—意識が創られるとき

脳のなかの水分子「いち・たす・いち」「ぷらす・あるふぁ」につづく、中田力教授の「脳の渦理論」第3作。複雑系科学を俯瞰する「いち・たす・いち」、脳の渦理論の確信を描く「ぷらす・あるふぁ」に対して、本書は、筆者がこの理論へと至った背景が綴られている。

ライナス・ポーリングへの畏敬の念が全編にわたって語られ、同時に科学界というコミュニティへの心情も強く吐露されている。科学という営みも人間の手によりなるものである以上、完全な「公正」はありえない。その中で、いかに科学的真理を求めるのか、を自然科学者ひとりひとりが考えなければならないわけだが、現在は、そもそもそうした視座に到達する研究者自体が限られている状況にある。筆者自身が渦理論をどう携えていこうかと試行錯誤するようすは、ある意味理不尽ではあるが、科学者として至極真っ当な懊悩と受け取った。

「いち・たす・いち」「ぷらす・あるふぁ」と本書を再編して、1冊にまとめた作品を読みたいと思う。そうした形で読まれた方がおそらくは幸福な書物ではなかろうか。

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人類が知っていることすべての短い歴史

人類が知っていることすべての短い歴史私たち=人類がこの星に誕生するに至るまでに、この宇宙ではいったい何があったのか。科学者たちはどうやってそれを明らかにしてきたのか。ビル・ブライソンは門外漢ならではの大胆さで科学の奥座敷にドカドカと踏みいり、見て感じたとおりに「科学」という営みを描く。描きだされるのは、科学者という滑稽な人々が織りなす低俗な争いと、荘厳な知識のタペストリ。圧倒的におもしろい。

本書は科学史に軸足を置いており、科学的知識そのものの説明はかなり表層的に端折られている。これを読んで何かを「理解した」とは思えないだろう。作者自身も、最近100年の科学を「ほとんどの人が何ひとつ理解できない」と書いている。ごまかしや誤りを書き連ねるくらいなら、そもそも書かない、というのはむしろ潔い。科学的知識を学びたいのなら、アトキンスやマット・リドレーなど、科学者あるいはサイエンス・ライタによる著作に如くものはないだろう。

一方で、科学を生業としない「一般人」の目で作者が科学を見渡し、本書の内容として選び取った領域を眺めてみるのも興味深い。ぼくは生物学に携わる研究者の端くれだが、本書の後半を占める生命科学で描かれるトピックは、現代生命科学の王道とはかなりズレている。これをビル・ブライソンの偏見とみるか、それとも、生命科学という営みがボタンを掛け違えつつあるのか、考えさせられる。

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数理生理学

数理生理学〈上〉
原書は米国出版協会の「Best Mathematics book of 1998」を受賞した良書。実際、酵素反応速度論や電気生理の基礎から、視覚、消化吸収、循環などの高次現象までを幅広くおさえた、数理にも生理にも偏らない、真っ向「数理生理学」の教科書であり、他に類をみない本である。ただし、和訳は必ずしも優れているとはいえない。散見される読みにくさ、専門用語の誤訳などには目をつぶるとしても、文章やパラグラフがまるごと訳されていなかったりする部分もあり、さすがにいかがなものかと思う。原書を脇に置きつつ読み進めることをオススメする。

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数理生理学〈下〉
和訳では「システム生理学」のサブタイトルが付けられているが、その内容は、巨視的(macroscopic)な現象の数理生理学である。上巻で言及された微視的(microscopic)な現象のモデルを活用しつつ、循環や腎での尿生成、消化吸収、視覚、聴覚などの複雑だが身近な現象のモデリングと議論が展開される。難解な部分も多いが、数学を用いることで生命科学がいかに深まるか、そのポテンシャルを体感できる。上巻同様、翻訳には難あり。内容だけなら5つ☆の良書。

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