著者の本をはじめて読みましたが、視覚的に訴えかけるたとえ話による説明の巧みさは、数ある理論物理学のポピュラーフィクションでも随一と感じました。私はひも理論にはさして関心はなく、著者が物理学の概念の変遷の歴史をどう描いているかに興味を持って本書を手に取ったのですが、目からたくさんの鱗が落ちて大満足でした。ニュートンの回転するバケツをたとえ話を出発点として「物理現象が起こっている舞台とは何なのか」という問いかけと、第2章で放たれる「過去から未来へと一方向に過ぎ去っていく時間の矢の方向づけをしたのは何なのか」という問いかけが全編を貫いています。インフレーション理論の紐解き方も出色です。とはいえ、ひも理論へと収斂していく筋立てなので、標準模型や超対称性などさわり程度にしか触れられない重要概念もあります。「「標準模型」の宇宙」「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで」「物質のすべては光」「ガリレオの指」あたりと読み比べると、同じ概念を、研究者たちはそれぞれ、さまざまな形で「腑に落として」いるのだなあと感心します。
下巻のひも理論の解説も非常に楽しめました。前半は過剰なまでに幅をきかせていた「ザ・シンプソンズ」のたとえ話も影を潜め、さまざまな抽象イメージが展開されます。ブレーンワールド仮説、ホログラム宇宙仮説など比較的新しい理論について、簡潔でかわりやすいイントロダクションを与えてくれます。ひも理論は未検証であるためいろいろ批判にさらされていますが、人類の知的冒険の最先端であることに疑いはなく、私はこの冒険を応援します。結果としてどの理論が正しかったか、などということは運も絡む副次的な要素です。冒険の過程そのものにこれだけの知的興奮が宿っているのですから、結果とは無関係に、理論そのものに計りしれない価値があると思います。