数学は最善世界の夢を見るか?

数学は最善世界の夢を見るか?モーペルテュイの最小作用の原理を中核に据え、人類文明における科学、合理的思考の役割を考察した傑作。原著は、2000年に仏語版が、2006年に仏語版に基づく英語版が上梓されている。英語版では一部内容の削除、追加が行われており、2つの版の印象は異なるようである。そのあたりは「訳者あとがき」に詳しい。
翻訳は、より新しい英語版に基づいているが、英語版で削除された仏語版の記述が付録として採録されるなど、いいとこ取りの構成になっている。翻訳者・南條郁子氏の配慮と、みすず書房の良識に感謝、感銘。
著者エクランドがフランス人ということもあるのだろう、本書ではモーペルテュイの他にもデカルト、フェルマー、ラグランジュといったフランスで活躍した研究者への言及が多い。フランス人贔屓というわけではなく、エクランドの教養を形づくっている要素を反映すれば自然なことなのだろう。それが、英米の科学者やサイエンスライタの書くものとは異なったものの見方を生みだしており、おもしろい。

ガリレオの仕事をとっかかりとして、時間とともに変化する運動現象を、どうやって科学の枠組みに捕捉したのかを眺め、代数と幾何という異なる流れの中で発展してきた数学が合流し、運動を理解する上での強力な道具になったことが語られる。
そして、モーペルテュイが、最小作用の原理によって、この世界が最大限効率的に無駄なく作りあげられており、それこそが神の御業の痕跡であると主張する。その周辺で、この世界(宇宙)は、存在可能なあらゆる世界の中で、最善の世界なのかという哲学的な問いに、数学によって挑む試みが繰り返されていく。
やがて科学は神と別れを告げ、テクノロジーと手を結び、さらに発展し、私たちの文明に明暗ともども深く拭い去れない影響を与える。その中で、最小作用の原理は折に触れ再解釈され、そこから最適化理論が派生する。エクランドは、生命科学や経済学といった領域を実例としてあげ、世界が(局所的であれ)最適化されているか、最適化することは可能かを探究する。

科学を最高の武器として駆使し、この世界の成り立ちを理解しようと思索を巡らし、最終的に、合理主義に拠って立つ自らの立場を明解に記述し、こうした思索の積み重ねが、個人的な幸福とどう繋がっていくかにまで言及している。

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