伊坂幸太郎らしい、というか、たぶん伊坂幸太郎しか書かない作品。
6篇の連作短編集で、冒頭の2篇は、著者が敬愛してやまない斉藤和義の依頼を受けて、斉藤の楽曲に寄せて書かれたもの。
舞台は仙台、各篇の登場人物が少しずつ重複し、少しずつ繋がっていて、錯時的に構成されている、といういつもの伊坂節。
最近の伊坂幸太郎らしく、何てことのない日常を、軽やかに描く。日常に突然まぎれこむちょっとした奇蹟が、日々の暮らしの輝きを少し増してくれたり、微笑ませてくれたりする、そんな小品たちだ。
6篇の作品は、およそ20年(正確には19年)の時の隔たりをもって散りばめられおり、最終篇「ナハトムジーク」に倣うなら、主に、現在、およそ9年前、およそ19年前の3つの時刻が舞台となっている。ある話で27歳だった主人公は別の話で46歳となり、11歳の子どもがいたりする。
伊坂幸太郎の作品では、別人と思われた2人の登場人物が実は同一人物という叙述トリックがしばしば用いられるが、本作では、登場人物が約20年間の時間経過の中で姿を変えることで、トリックでも何でもないのだが「実は同一人物」という驚きやおかしみが数多く企まれている。
およそ10年という時間を経て登場人物が再会する場面がいくつかあり、それは運命の再会といったドラマチックなものではなく、偶然ばったり、という感じの遭遇なのだが、そこで、それぞれの想いが一巡りして、思いもかけず、誰かが誰かの背中を押す。
堅苦しい「小説作法」の類では、「小説の中でやってはいけないこと」を、伊坂は堂々と中心に据えて、佳品に仕上げてしまう。楽しい。
「実は同一人物」の多くは、物語を推進する力になっているが、気づいた人だけ笑ってね、というものもある。ぼくが気づいた限り、いちばん細かいのは、「ライトヘビー」に登場する美奈子の友人のひとりと、「メイクアップ」に登場する窪田結衣の同僚のひとりが同一人物、というあたりか。