「標準模型」の宇宙

「標準模型」の宇宙素粒子物理学、とりわけ標準模型に関する一般向け解説書。素粒子物理学に関する一般向けの書物は、日本語で読めるものでもかなりの数がある。この分野で日本人ノーベル賞受賞者が出たことでブームにもなった。しかし、ここまで真正面から、手間を惜しまず、標準模型を理解するために必要と思われる要素を一般向けに解説した書物はかつてなかったのではないかと思う。すばらしい。
本文だけでも450ページを超える大部だが、密度も相当に高い。前半3分の1で、現代物理学をレビューし、場の量子論まで解説する。中盤の3分の1は、対称性と群論の解説。そして残る3分の1で、それまで解説した「基礎知識」を土台に、ゲージ理論、標準模型など、最新の素粒子物理学の到達点が解説される。
著者自身が「まえがき」で述べているように、この本では、素粒子物理学の歴史や、研究者の人物に関するエピソードには紙数を割いていない。一刻に、素粒子物理学を理解するための解説だけを書いている。これだと、書きようによっては初学者向けの教科書になってしまいそうだ。なのに、読んでいて楽しく、また教科書とは明らかに一線を画していると感じられるのは、著者自身が自分の研究対象を心底楽しんでおり、それを読者に伝えようとしているからだろう。「ほら、面白いでしょう」という著者のワクワクする気持ちが、行間から伝わってくる。
数式を極力排するなど、ポピュラーサイエンスに分類される書物には違いないが、たいていの類書が説明を諦めている部分も正面から説明しようとしており、類書に物足りなさを感じていた読者には喝采ものだろう。
現代自然科学の尖端に真正面から取り組み、成し遂げているのは、すばらしいのひと言に尽きるが、しかしながら、やはり類書に比べれば内容は難しい。例えば、縦書きのポピュラーフィクションで、ファインマンダイアグラムの読み方を丁寧に解説し、実際に数十枚のファインマンダイアグラムを示して現象の解説を試みているような本を、私は他に知らない。
クオーク、対称性、標準模型といった概念について何の知識もない人がいきなり本書に取り組むのは「挑戦」だろう。「ガリレオの指」「もっとも美しい対称性」など、より平易に書かれたポピュラーサイエンスで地ならししてから、本書へと読み進むのがいいように感じる。
素粒子物理学を扱ったポピュラーサイエンスに、本書の次(further reading)は存在しないだろう。この本を読んでさらに知りたいと思ったら、専門書を手にとるしかない。そのくらい高度な内容が、ごまかし抜きに書かれている。(3度目になるが、)すばらしい。
なお、この手の一般向けの書物は、当然ながら著者の考え方が明に暗に現れる。その中には、民族差別的な考えの持ち主であることを想像させるものもある。複数の研究者が同時平行にある発見に至ったような事実に言及するとき、欧米の研究者による成果だけを引き立たせ、日本人をはじめとする他民族の研究者の業績をことさら矮小化して記述する書き手もいて、内容がすばらしければすばらしいほど、残念な思いに駆られる。
本書は、(少なくとも日本人に対しては)非常にフェアである。南部陽一郎、小柴昌俊、益川敏英、小林誠らの業績が深い経緯とともに紹介されている。特に、南部陽一郎に対しては尊敬の念を抱いていることが伺われるが、これは、そもそも南部の業績が先駆的で偉大なものであることに加え、筆者がシカゴ大学で博士号を取得していることに関係しているかもしれない。筆者は実験物理学者、南部は理論物理学者なので、師弟関係ということはないだろうが、筆者の在籍当時、南部はシカゴ大学で教鞭を執っており、講義を聴いたことは十分に考えられる。

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