心臓の電気生理学の第一人者Denis Nobleによる一般向けのシステム生物学の本。原著は2006年。Noble博士とは、7〜8年前に一度だけ夕食をともにする機会があった。日本人研究者につけてもらった漢字の名前を持っていると仰り、箸袋に「貴」の字をご自分で書いていたのが記憶に残っている(Noble→貴なのだろう。漢字名そのものは失念)。本書でも、日本をはじめ、東洋哲学を数多く引き合いに出すなど、東洋に親しい側面が度々顕れている。
「生命の音楽」は生理学のトップランナーが著したシステム生物学の本である。そもそも、生理学は機能に注目して生命現象の理解に取り組む学問領域であり、古くからこれと競い合う分野に生化学などがある。学部生だった頃、免疫学の教授が披露した「生理学者は”最初に磨りつぶしてしまって、生き物の何がわかるのか”と、生化学者を詰り、生化学者は”生き物のように複雑なものを、そのまま観察して何を理解できるのか”と反撃する」というジョークが今も脳裡に鮮やかに残っている。
生命の機能という複雑な現象を記述し、解明するために、生理学では数学を用いたモデル化が活用されてきた。しかし、20世紀半ば以降の分子生物学の絶対的な繁栄により、分子レベルの生物学が圧倒的な勢いを得ると、その大局に位置する生理学は失速していった。10年ほど前、日本を代表する電気生理学者が「日本の大学には”生理学”と名のつく研究室がほとんどなくなってしまった」とこぼされていた。
システム生物学は、世紀の変わり目を跨ぐころに、分子細胞生物学をはじめとする膨大な生命科学の知識を統合し、生命現象を理解するアプローチとして、北野宏明らによって提唱されたもので、現在では、若干その意味を変えながら生命科学の領域に定着しつつある。定着する過程で、システム生物学の提唱するアプローチは真新しいものではない、という批判がそこかしこで聴かれた。生理学者たちも大いに憤慨したひとりではないかと思う。確かに、生理学は機能というマクロな階層に軸足を置くアプローチであり、また、現代の生理学は分子レベルの知見や技術を活用し、機能から分子へ、マクロからミクロへと階層を横断する研究領域へと発展しており、システム生物学の趣旨と重なる部分はかなり大きい。
「生命の音楽」は生理学者Nobleならではの本になっている。解明したい対象は、生命現象である、という視点が、終始一貫、ブレることなく中心にある。これは爽快だ。生命科学の主たる目的が、生命現象の解明にある、なんてことは自明のようだが、現実の生命科学の営みは決してそうはなっていない。分子レベルのアプローチがあまりにも突出して進歩してしまったため、分子レベルのアプローチが目的としていること、あるいは解明の対象としていることが、あたかも生命科学全体の目的であるかのように物語られる局面に出くわすことが少なくない。
「生命の音楽」では、音楽をキーとなる比喩に据え、生命現象を解明し、理解するために、どういった視座を持つべきかが論じられる。ゲノムは「楽譜」なのか、生命システムに「指揮者」はいるのか、という具合に。10の章には、それぞれ、音楽に関わる題名が与えられている。比喩を縦横に駆使しながら、その力と背中合わせに存在する危険性についても慎重に論じており、興味深い。
全編を通して主張されているのは、分子、細胞、個体といった階層のどれかに限局してしまっては生命現象を理解することは難しく、複数の階層を往還しつつ、対象となる生命現象にとって適切な視座を持たなければならない、ということだ。ゲノムは単なる情報であり、ゲノム情報を転写翻訳する細胞システムがあって初めて、この物理世界における意味や機能が発生するという記述に、昨年亡くなった物理学者John Wheelerが「床に書かれた方程式に、どんなに命令しても方程式が飛ぶことはない」と話していたことを思いだした。
翻訳は我が国の心臓の電気生理学の第一人者である倉智嘉久教授が手がけている。研究者が翻訳した書物は読みにくいことが少なくないが、本書の翻訳はすばらしい。科学的な内容に不安がないのはもちろん、日本語としても自然で読みやすいものになっている。あとがきに、Noble博士自身から倉智教授に依頼があったとあるが、最善の選択だったのではないかと感じる。
- 個人的には、systems biologyを「システムズバイオロジー」と訳さなくてもいいのではないかという気がする。最初にこの言葉を使いはじめた北野さんが「システム生物学」と表記しているのだからこれを尊重すればいいと思うし、少なくとも「システムズ」ではなく「システム」だろう。この場合のsystemsは複数というよりは形容詞的な語法だと説明されたことがあるし、systems engineering、systems theory、systems analysisといった言葉に与えられている日本語訳を考えても、いまさら「システムズ」と表記することには違和感がある。直に関係ないが、本書の中で、Nobleは日本語が単数形と複数形の区別や主語が曖昧な言語だと指摘してもいる。