Selective Bottleneck

4. 自然選択の最小単位

自然選択が作用する最小単位は何だろうか。
一般に〔生命デザイン〕が生存を賭けて競合する最大のライバルは、同朋、すなわち、遺伝的にごく近縁の生物個体である。近接するエリアに生息する近縁の生物個体は、食物などの生活習慣が共通であるために、限られた資源を奪いいうことになる。より多くを獲得し、より効率的に繁殖した〔生命デザイン〕が、選択され、後世に遺伝情報を残すことができる。

では、〔生命デザイン〕どうしの競合とその結果は、どんな尺度を用いて測りとることができるのだろうか。必要とする食物の質や量、移動速度、繁殖能力、知的能力など生物にはさまざまな能力があり、しかもその能力は生物種毎におそろしく多様である。空を飛ぶ能力を持つ生物もいれば、深海の水圧に耐える生物もいる。太陽光を化学エネルギーに変換する生物もいる。そうした夥しい生命の機能の何に着目すればいいのだろうか。
その答えはシンプルである。増殖速度だけを測れば、自然選択の結果を知ることができる。
どんなにエレガントな機能を持つ〔生命デザイン〕も、繁殖することなく死を迎えれば、それ以降の未来に自身をコードする遺伝情報を残すことはできない。自然選択を生き延びることは、後世に自らの遺伝情報を残すことに他ならない。増殖し、遺伝情報のコピーをつくらなければ、どんなに卓越した能力を持っていても、絶滅種の仲間入りをするだけである。
では、繁殖以外の能力は自然選択とは無関係かといえば、そんなことはない。食物を獲得する能力や捕食者から逃れる能力は、繁殖に成功する可能性を高めることにより、間接的に増殖速度を増加させるだろう。生物が持つ能力の多くは、その増殖速度に多かれ少なかれ、何らかの影響を与える。そうした影響をひっくるめた総和としての増殖速度の高い個体とその子孫が、増殖速度に劣る同朋を押しのけ、選択され、生き延びることになる。
進化遺伝学では、〔生命デザイン〕の増殖速度 1適応度と呼ぶ。〔生命デザイン〕がおかれた環境が変化すれば、適応度も変化する。環境が適応度に与える影響が選択圧である。同じ環境下に置かれた生物であっても〔デザイン〕が異なれば、環境から受ける選択圧も異なる。

自己複製時のエラーによって突然変異が生じ、生物集団の中に少しずつ異なる多様な〔生命デザイン〕が生まれる。異なる〔生命デザイン〕は異なる適応度を持ち、増殖速度に差が生じる。例えば、ある生物個体群の適応度がおしなべて1であるとしよう。適応度が1の場合、世代を重ねても、相対的な集団のサイズ(個体数)は1のままである。この集団中に、適応度が5%だけ増加して 1.05 になった〔デザイン〕が生じたとする。1世代後、この〔変異デザイン〕の個体数は 1.05 倍になる。2世代後には 1.10 倍、3世代後には 1.16 倍と増えていき、10世代後には 1.6 倍、100世代後には132倍、200世代後には17000倍にまで増加する。環境中の資源には限りがあるので、実際に個体数が17000倍になることはなく、代わりに、相対的に17000分の1の個体数しか持たない、元々の〔デザイン〕の個体数が減少し、やがては死滅することになる。繁殖に適した環境におかれた微生物は1時間に1回以上の分裂速度を持つので、200世代の経過にはせいぜい200時間すなわち8日間程度しか要しない。1年に1回繁殖する動植物でも200年、ヒトのように繁殖年齢に達するまで15年程度かかる生物であっても、たかだか3000年程度である。長大な時間を与えられた生命進化の過程では、わずかな変化によって他者を絶滅に追いやることが可能になる。

こうした見方をすると、自然選択を受けているのは〔生命デザイン〕であることがわかる。わずかであれ適応度の異なる〔デザイン〕には、異なる運命が用意されている。同じ生物種に分類される個体間でも、適応度は多様である。さらに時間の経過とともに生物集団をとりまく環境が変化するため、適応度も変化する。生物集団を構成する〔デザイン〕の比率が変化すること自体も、環境変化のひとつである。結果として、単一の生物種からなる個体集団の内部でも、自然選択による複雑な競合、多様な〔デザイン〕の栄枯盛衰が展開することになる。
したがって、自然選択の最小単位が生物種でないことは明らかである。
ただしこれは、自然選択による生物種間の競合が存在しないとしているわけではない。捕食者によって捕獲されつくして絶滅した生物種は数多く存在する。近隣に生息する生物種は互いの適応度に影響を及ぼしあっている。〔生命デザイン〕に固有の適応度があり、その集合である個体集団(群)には集団の適応度がある。生物種全体の適応度もあるだろう。集団のサイズが大きくなるほど、適応度を精密に定義し、計測するのは難しくなる。生物種という括りでみたとき、そのメンバーとなる各個体は、それぞれに異なった環境下で生きているからだ。究極的には、地球上の生物全体の地球環境に対する適応度という概念も存在しうるが、これを計測するのは困難さはいうまでもないだろう。

では、自然選択の作用する最小単位は〔生命デザイン〕すなわちゲノムにコードされた遺伝情報なのだろうか。もっと小さな単位、例えば個々の遺伝子と考えるべきではないのだろうか。この点には議論があり、遺伝子や、ある基準でグループ化した遺伝子のクラスが自然選択の最小単位だとする研究者もいる。これは、自然選択の定義の問題でもあり、正誤の問題というよりは、適不適の問題だろう。
ひとつ確かなのは、繁殖に成功し、次世代に遺伝情報が継承されるとき、ある個体の全遺伝情報のパッケージすなわちゲノムが伝達されるということだ。有性生殖の場合、両親の遺伝情報が混じりあうので単純に割り切るのは危険だが、大雑把にいって、世代から世代に受け渡される遺伝情報の単位はゲノムであり、個々の遺伝子が個別に取捨選択される機会は、あったとしても非常に限られている。

Notes:

  1. 正確には相対的な増殖速度